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span style="line-height: 1.2;">大阪東洋蘭会 秋季展示会のお知らせ 日 時 2007年10月28日(日) 午前11:00~午後3:00 場 所 宝塚市山本園芸流通センター お気軽にご参加下さい!! ◆恵蘭「鶴の華」の転覆前の新芽、。 Cym.sinense (Taiwan) name:tsuru-no-hana 東洋蘭界では中国蘭の恵蘭に属する大明蘭「鶴の華」です、。現状は画像の通りですが、新芽の出芽のハカマは澄んだピンク芽、。本葉は薄い緑色の大覆輪の内側に白味のある紺鼠色を縞状に通し成長するにつれて「中」の部分は紺鼠色となり、葉先からの蹴込みの黄緑色縞と入り混じる、。(画像はこの状態です、)、この後、覆輪部分や蹴込み部分の薄い緑色が白くハゼて来て、最終的には「紺鼠色地白黄深か帽子大覆輪蹴込み縞、」となって仕上がる、。成長途中で複雑な芸を現すが、この薄緑色覆輪が白黄の大覆輪に変化する美しい「芸」を「転覆芸」と呼びます、。恵蘭広葉では「鶴の華」のみですが、恵蘭細葉では「錦旗」「朝陽」が同じ「転覆芸」を現します、。 銘蘭「鶴の華」に現れる”芸”なので、「転覆芸」のことを「鶴芸」とも呼ばれます、。 ◆「鶴の華」は「金華山」から生まれたのですが、「金華山」は「金華山」→「金鳳」→「金鳳錦」→「太陽」という変化もしたので、今でも「太陽」を作っていると「鶴の華」が出る事があり、安定性に欠点があるので「太陽」から出たものは「出鶴」(でづる)と呼ばれます、。 ◆昭和の初め(昭和6年)に四国で変化し、4~5人目の持ち主が長崎の人で「長崎港」の別名「鶴の港」から名前を付けたもののようです、。戦争中に傷んだ鶴の花を戦後、福岡と四国の商人が人気し昭和20年代から30年代には最高貴品として取引され、この「鶴の華」を愛好家に広める為に昭和24年大阪に作られたのが現在の「大阪東洋蘭会」の前身「箕面愛蘭会」です、。 ◆「箕面愛蘭会」の初代会長は地元の大地主で庄屋の上田勝治さんといい、その頃までの上田氏宅には後の大財界人・笹川良一氏が小作人のせがれとして出入りしていたそうです、。日本の戦後史を見る思いがしますね、。 ------------------------------------------------------------ ◆12~3年前に大阪鶴見緑地にある花博記念公園「咲くやこの花館」から春季展示会の要請があり、全関西的な名前への変更を余儀なくされて、歴史ある「箕面愛蘭会」を「大阪東洋蘭会」と改名しましたが、現在日本中に存在する交換会中、最古の歴史を持っています、。途中短期間の会長は居られたが、長期間の会長では竹ノ内会長で3代目、。現在では春蘭の交換会になっています、。 -------------------------------------------------------------
by ooos_tt
| 2007-09-30 15:31
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